初めまして、もうすぐで二年になる菊池です。今回は小説形式で文章を書いてみました。書いてみたらちょっと重い感じになってしまいましたが、深く考えずに読んで頂けると幸いです。なお、この物語はフィクションであり、実在の人物等にはほとんど関係ありません。
それでは、どうぞ!
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午前中は棚田に出て畔の補修をした。補修というのは、畔が崩れて水田から水が漏れそうな場所を直すということだ。クワやスコップで水田の泥などを掘り起こし、崩れた場所に塗りつける。そんな作業をただひたすらに繰り返していた。
「ん?」
高く振り上げたクワを下ろすため、腕を重力に委ねようとしたが、視界に飛び込んできた謎の物体によってそれは妨げられた。クワをゆっくり下ろして見てみると、それは黒い点がゼリー状の物に包まれた構造の集まりだった。球状の物体が、多数で一つのいびつな塊を形作っている。
おそらく、両生類の卵だろう。カエルかイモリといったところだろうか。水の流れに逆らわずにゆらゆらと浮いている。
しばらく彼らの行方を見守った後、両手に力を込めて再びクワを振り上げた――。
午後は紅茶作りをした。紅茶作りと言っても、私達がしたのは揉捻という作業だけなのだが。「揉捻」という漢字通り、茶葉を揉んで捻る工程のことだ。よく発酵させるために、茶葉をできるだけ細かくちぎり水分を放出させる必要がある。
やはり、この作業もひたすらに力を入れ続け、同じ動きを繰り返すものだった。時間が経つほどに体に疲れが溜まり、心の中では余計なことを考えるようになった。その点機械は素晴らしい。何も想わずに、手を休めることなく動き続けられるのだから。
できた紅茶は、到底機械に敵うようなものではなかった。だが、湯気からは優しい香りがして、飲むと胸の奥が温かくなったような気がした。
今回紅茶の素になった茶葉は、茶草場農法で作られたものだそうだ。茶草場農法は世界農業遺産に認定されている素晴らしい農法だと言う。何が素晴らしいかと言うと、茶畑に撒くための草を刈るため、多くの生物種が生息できる環境を作れる所だ。放っておけば少ない種の植物がその場所を占有するが、それらが刈り取られることで他の植物も生育することが可能となる。
不思議なことに、人が自然に手を加えることで生物多様性が守られるのだ。草を刈るということは、その植物の命を奪い自然環境を人為的に操作するわけだが、ここでは正当化されてしまう。森林伐採というのは、草刈りの規模が大きくなったものとも考えられる。しかし、それはあまり正当化されることはない。
農業は自然と共に営まれ、人が自然を大切に管理しているように思える。一方で、田畑というのは自然を人が利用しやすいように、破壊、監視しているものである。私は想像しかできないが、どんな田畑も元は別の植物などが生息していて、人無しにそれらができることはないのだ。当たり前にあるその景色は、自然物ではなく、長い時間をかけてできた人工物なのである。
人が自然環境を変えることによって、本来生育できなかった生物が暮らせるようになる。しかし、環境を変えすぎると、本来生育できたはずの多くの生物がいなくなってしまう。どこまでが「保全」で、どこからが「破壊」なのかは誰にもわからない。
赤い炎で焼かれた草木は黒く染まり、土は灰色に渇いている。しかし、その中にしっかりと芽吹いた一つの緑がこちらを向いている。彼はきっと、周りの住民がいなくなるまで外に出られずに過ごしていたのだろう。これからは陽の光を目一杯に浴びて成長できる。辺りを焼き払った人間に感謝しているに違いない。
――私は、なぜかその塊を避け、刈り取られた稲株の根元を狙ってクワを振り下ろすのだった。
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いかかでしたでしょうか? この主人公、普段からこんなことを考えて生活しているんでしょうかねえ。まあ、そんなことはどうでもいいんですが。とにかく、最後までお読み頂きありがとうございました。
担当は菊池でお送りしました。