好きなものを紹介しよう!

水曜日, 11月 14th, 2018 投稿者:しず大棚けん

気づけばもう11月も中旬。
年々一年が過ぎる早さが身にしみてきた栗田です。

実は今回のブログは私のラストブログにあたるのですが、特に何もネタがないなぁと困り気味です。
そこで前回のブログを盗み見てみると、副部長が「大好きなアボカド」こと恐竜の卵をプレゼンしているのでパクって私も好きなものを紹介してみようかなぁと思います。

 

『悲母観音』狩野芳崖

(google画像検索より引用)

この狩野芳崖の《悲母観音》は、私にとって日本画の常識を覆した思い出の作品です。
この作品と初めて出会ったのは高校二年生の時の日本史の資料集の小さな図版でした。
『近代日本画の祖』と呼ばれる芳崖ですが、芳崖の作品の図版は《悲母観音》のみでした。
隣には高橋由一の《鮭》や竹内栖鳳の《アレ夕立に》などが載せられていましたが、私はこの作品に特別魅せられたことをよく覚えています。
やわらかい衣を纏い慈愛の篭ったまなざしで赤子を見つめる悲母(慈愛)観音と、吊るされた大きな泡らしき物体に揺蕩う無垢な赤子、神秘的な雰囲気、色使い、その全てが初めて出会う感動でした。

どうしても実物が見たいと思い東京藝術大学付属の美術館に行ったのですが、《悲母観音》は常設展示ではなく見ることはできませんでした。
先月辺りに狩野派の展覧会が六本木で開催されていて、《悲母観音》も展示されていたのですが、都合がつかず行くことができませんでした(;_;)
三顧の礼・・・だとあともう一度お伺いをたてに行かなきゃいけないんでしょうか。

ブログでここまで紹介するのもどうかと思うのですが、せっかくなのでこの作品の自分なりの解釈についても述べてみたいと思います。
観音を振り返る嬰児のモデルは芳崖の初孫の新治であったと芳崖の弟子達が証言しており、この事を踏まえてみると、《悲母観音》が芳崖の初孫の誕生の喜びを表現した作品とも捉えることができます。
中央にいる観音様はタイトルの通り悲母観音(慈母観音)です。
悲母観音は中国で誕生した観音であり三十三(化身)観音のなかには数えられませんが、日本では広く流布し信仰されています。
その中でも柳の枝を手にする観音を楊柳観音と呼び、病難救済を本願としています。
この悲母観音は細い水瓶から浄水を落としており、それによって嬰児の命が与えられ、地上に降りていく構図が取られていますが、これは芳崖の独創と言われています。
また、本来観音は男性であり、本作品の観音もよく見るとひげがつけられています。
しかし、芳崖はあえてこの観音の顔を女性として描いています。
この女性的表現について古田亮氏は「芳崖が常日頃「観音様」と呼んでいた妻よしが1887(明治20)年7月53歳で亡くなった年の春頃、平癒を祈願して《悲母観音》の制作に取りかかっていたと古田氏はみている。画家としての最後の仕事という自覚に、さまざまな思いを込めたいということから発して、個人的なものだが普遍的なものとしたい、という思いがあった。」(アート・アーカイブ探求 狩野芳崖《悲母観音》─近代日本画の意志「古田 亮」 影山幸一2012年10月15日号)と述べており、私としてはこの作品内の観音についてこのような解釈が一番適しているのではないかと思っています。

愛する妻、よしを「観音様」と呼んでいた芳崖にとって悲母観音とはどのような存在だったのでしょうか。
観音へのイメージについて芳崖はこのように語っています。
「人生の慈悲は母の子を愛するに若くはなし。観音は理想の母なり。万物を起生発育する大慈悲の精神なり。創造化現の本因なり。余此意象を描かんと欲する茲に年あり来た適当の形相を完成す。」(「狩野芳崖」古川 北華著 1955年 民族教養新書)

芳崖のこの言葉通り、彼は人生の最たる慈悲の形、万物を育む観音へのイメージを妻の姿に重ね、「理想の母」を描こうとしていたのではないでしょうか。
日本の聖母マリア像とも呼ばれるこの作品は、聖母子や仏教の教えなどの理解の範疇を超えるものではなく、芳崖自身の純粋な理想の存在を描いていた、だからこそ彼はこの作品を絶筆として選び、多くの著名な評論家たちに称賛される作品を描きあげることができたのではないかと私は考えています。

そんな事を考えさせてくれるこの《悲母観音》は、私にとって寂しくなった時の心の拠り所のような存在のひとつです。
安心毛布しかり、人は自分以外の何かの存在、物に執着することでも心の安寧を手に入れる‪ことができます。
芳崖にとっての心の拠り所は悲母観音や妻のよしさんだったのでしょうか。

こじつけのような言い方にはなりますが、せんがまちや棚けんのメンバーもいつのまにか《悲母観音》と同じように私にとっての心の拠り所となっていました。
棚けんで過ごした思い出が、社会人になってもおばあちゃんになっても時々思い出す賑やかで暖かい時間でありたいなぁと思います。

こうして改めて考えてみると、好きなものがあるってとても大事なことですね。
OBの方も含め棚けんメンバー、NPOせんがまち棚田倶楽部の方々には感謝してもし尽くせません。
特に幹部のみなさんには多大なる迷惑をおかけしました…。
仕事は遅いし気分にムラっ気があるわ、私を代表としてついていくのはとても大変だったでしょうし、言いたい事もあったと思います。
それでも文句ひとつ言わず、仕事を引き受けて、さりげなく支えてくれた事、心から感謝しています。

心からのありがとうを告げて、締めの言葉とさせていただきます。

いつも閲覧してくださるブログ読者のみなさま、サークル活動を支えてくださった私を含め部員の家族のみなさま、いつでも暖かく迎えてくださったNPO法人せんがまち棚田倶楽部のみなさま、オーナーの方々、そして棚田研究会のメンバー、1年間本当にありがとうございました。

栗田

 

 

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