棚田女性部、菊川市のイベント ODORA THE菊川に参加しました。
五平餅、赤飯、もち米販売と大忙しでした。
午後の2時には五平餅と赤飯が完売!!!
もはや名物となった棚田の五平餅は本格炭火焼、タレは最高の味です。
赤飯はその場で蒸籠(せいろ)で蒸し、その場でパック詰めしてホッカホカ。
もちろん、すべて棚田米を使っています。
次にこの味に会えるのは、11月15日河城地区センターで行われる
河城地区文化祭となります。
お近くの方は食べに来てくださいネ。
棚田女性部、菊川市のイベント ODORA THE菊川に参加しました。
五平餅、赤飯、もち米販売と大忙しでした。
午後の2時には五平餅と赤飯が完売!!!
もはや名物となった棚田の五平餅は本格炭火焼、タレは最高の味です。
赤飯はその場で蒸籠(せいろ)で蒸し、その場でパック詰めしてホッカホカ。
もちろん、すべて棚田米を使っています。
次にこの味に会えるのは、11月15日河城地区センターで行われる
河城地区文化祭となります。
お近くの方は食べに来てくださいネ。
せんがまち の棚田は脱穀も終わり、稲を天日干しにした時に使った
ハズ も片付けました。来年も使うため、しっかりトタンの屋根をかぶせます。
他の地域では ハザ ハサ とも言われているようです。
せんがまち では横に1段で稲を掛けていきますが
3段掛けや5段掛けまであるようです。
やはり、狭く高低差のある棚田では高く稲を掛けるのは
難しいからでしょうか? 横1段しかつくられません。
むかし、倉沢地区は駒場の里といって馬を多く育てていました。今のように車のなかったころ、馬は人や荷物を運ぶ大切な動物だったのです。
この大切な馬が突然倒れて死んでしまった場所に置かれたのが、頭の上に馬の頭をのせているお地蔵様、「馬頭観音」です。
倉沢地区には7体の馬頭観音があります。今では人も車も通らない昔の道にひっそりと立つものや、いろいろなご利益があるといわれて立派なお堂の中に立っていて、遠くからもおまいりに来るという馬頭観音もあります。
みなさんも馬頭観音を見つけたら手を合わせてお参りしてみてください。
「なぜお馬さんが突然死んでしまうの?」「それはね、山の中には時々、人には見えない穴があるんだ。その穴は別の世界につながっているんだよ。別の世界というのは死後の世界だったり、過去や未来だったり、地獄や天国、どこにつながっているかわからないんだ。そしてその穴をふさぐことができるのは、生き物の命だけなんだ。どこに穴があるのか、人にはわからないけど馬にはわかる。馬は気がついて(わあ、この人は気がつかないんだな、この人がこの穴に落ちたらどうしよう)と思い、自分の命でその穴をふさぐんだ。人は、馬が死んだからそこに穴があったことに気がついて、馬への感謝の気持ちを込めて観音様を置くんだよ。」
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.46 「37 馬頭観音」 より)
投稿者:しずまち
明治22年、今から百年以上も前に、東海道本線が開通しました。当時、金谷から掛川間は、どこに鉄道を通すかということが問題になりました。候補としては、日本坂新道沿いコース、火剣山コース、菊川水流沿いコース、菊川河口の渡し・牧之原南端コースの4つのコースがあげられました。話し合いの結果、曲線が多く鉄道としては、きついカーブになるけれど、勾配がゆるやかで、トンネルの長さを短くできるとして、菊川水流沿いのコースに決まりました。
金谷から堀之内(現在の菊川駅付近)の間には、菊川がありました。菊川はときどき氾濫を起こして下流の人々を困らせるほどでした。そこで鉄橋を作っても川が氾濫して列車が通れなくならないように、川の流れを変えたのです。下倉沢の地先付近の大カーブのところで、菊川河川敷を延長150mおよび350mの2区間にわたってつけ替えたのです。堤防をつくったり、地面を掘ったりして、川の流れを変えました。出てくる土も多かったので、工事は大変でした。河川改修の工事を終えて、やっとの思いで線路敷きを取り付けることができたのです。
東海道本線の通る菊川町は、発展していきました。
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.45 「36 菊川・菊川改修工事」 より)
投稿者:しずまち
お米は日本人の主食、昔は鍬で耕し、一株一株手で植えて鎌で刈り取られていました。上倉沢の千框では今でもそんな昔ながらの米作りをしています。
上倉沢の千框は、面積約10haで、田んぼの枚数は約2,700枚、戦国時代から江戸時代始めには盛んに耕作されていたと思われます。標高差約60m、牧之原台地の西の斜面を利用し、大小さまざまな田んぼが作られています。小さな物は畳半分位の物もあります。
私達の祖先が、地すべり地帯という悪い条件の土地を開墾し、わずかな平地を作って水を引き、畦を作って、何百年という気の遠くなるような年月と、想像を絶するような努力によって、一枚一枚築き上げた歴史的な文化遺産だと思います。
棚田は役立っています。大雨の時はダムの役目、又自然環境保護の役目、カエルやイモリ、トンボ、タニシ、ザリガニとたくさんの生物を育てています。野鳥もやってきます。
私達の祖先が汗を流し、苦労して残してくれた棚田、美しい日本の原風景を文化としていつまでも伝えていきたいと、上倉沢棚田保全推進委員会によって保存活動が行われています。
皆さんも是非、田植、稲刈りに参加し、汗を流してみてください。
(出所 : 『河城 名所・人物100選』 p.12 「3 千框(棚田)」 より)
投稿者:しずまち
19日に、脱穀作業が終了しました。
ハズ に掛けられていた稲を脱穀機を使って稲から籾(モミ)をわけます。
ライスセンターで籾殻(モミガラ)を取り玄米の状態にし
精米をすると白米となります。
画像は今日、委員長ご夫妻の脱穀作業中を撮らせていただきました。
場所は田植えの日、愛育保育園と堀之内幼稚園の皆さんが
泥んこ遊びをした田んぼです。
きっとおいしいお米になってますヨ。
上倉沢の秋祭り2日目、屋台は せんがまち を目指して
急な坂道を登ります。
昨日は雨の中、屋台の引き廻しをしましたが、今日は秋晴れ!
眩しいくらいの青空の下、太鼓や笛のお囃子と、元気な若者の声が
せんがまち に響きました。
今年も上倉沢では、五穀豊穣を祝って駒形神社の祭典が行われます。
色ずいた次郎柿の隣には幟が立ち、明日からの祭りの準備は万全です。
18日(日)には せんがまち を屋台が一周します。
ハズに掛けられた稲と、お祭りの屋台、上倉沢の秋の風物詩です。
稲刈りから2日が過ぎ、稲の色が緑が抜けて黄金色に変わってきました。
でも今日は夕日が綺麗でハズに掛けられた稲が茜色に染まっていました。
この景色を見られるのも脱穀までの数日間だけ、その中で夕日に染まる
確率はとても少ないので紹介します。
投稿者:お茶芽
400人を超える皆さんに参加していただき刈り終えることができました。
ご協力ありがとうございました。
皆さんのご協力で、初めての試みだった活動支援募金も「31,900円」集めることができました。
このお金は冬に予定している「畔の補修」に使うスコップ、クワなどの購入資金として大切に使わせていただきます。
泥んこになってしまい水路で身体を洗っていた子供達、風邪引かないでくださいね。保育園、幼稚園の皆さんありがとうございました。
一番ぬかるんだところで奮闘して下さった県の職員の皆さん、連休明けは筋肉痛かもしれませんね。市の農林課の皆さん、細かなところまで気遣ってくださり助かりました。
皆さんのご協力に感謝いたします、ありがとうございました。
投稿者:お茶芽